自分が自分に注力してる時って、周りの言葉が気にならなくなる。誰に何を言われてもスルーできるものなんだなと(気にならない、どうでもいい)思った。
周りにガヤガヤ、周りが私のために良かれと思って言うことにしてもそう(親や友人、主人)
相手の意見としてありがたく頂戴するし、へーって思うし、だからと言ってその人の考え方を取り入れるわけでもなく、意見としてただ聞く。
もし相手が文句を言ったとしたら、この人は自分がそうしたいんだなぁみたいな感じに適当に流せる感じ。
でも少しでもブレていると、周りの発言をイチイチ気にしたり、その言葉を重く受け止めて悩んだり、うじうじしたり、引きずっていたりもする。私がたまにブレた時はそんな感じ。
子供達を見てるとみんな素直に言いたい放題言う。大人からしてみたら、これ大丈夫??って思うことも子供自身は全然気になってなかったり。
私も自分に集中してるので、子供達の会話は基本的にスルーしてて、気にならないんだけど、主人からこんな発言してたけど大丈夫?と聞かされる。(主人もまだ自分を生ききれてません)
もし相手に対して攻撃的な発言してたりすると、きっと本人がこうしたいんだろうなぁと相手に投影していて、本当は自分がやりたいんだなぁみたいな。
基本的に何か言われて反応があるってことは、自分を生きてないってこと。自分を生きてたら反応が出てこない。そして相手を攻撃することも自分を生きてない。だから相手に反応する。
昔の私は地雷ありまくりの、相手が踏みまくり、イラっという反応がすぐ出てきてた、ということは、私は人のために生きていた証拠。
本当はこうしたいを隠して他人のための人生を歩んできたからこそ反応が瞬時に出る。
相手に何かしら反応するってことは、自分が本当はしたいんだってことに気づくと、「あぁ本当は私はこうしたかったんだ」
それに気づいて認めるだけで、相手のことを羨ましいと思ったってことを認めるだけで、相手のことがどうでも良くなったりするし、自分を大切にしようと思う。
結婚して子供を持つと、オートで人のために生きる人生にシフトチェンジし始める。
そうなると、子供のことを想って、主人のことを想って、私はやってます!みたいな態度になり、認められたい私は常にイライラしてました。
私は自分の人生楽しめてなかった。
子供が私の生きがいです。
と言いたいところだけど、私にはそれも出来なかった。
子供達の夢中になる姿を見て、「羨ましい」と思った私は、自分も夢中になれる何かを見つけたいと自分に向き合う決心をした。
子供のおかげで、まだまだブレるけど、私は私を生きたい!と思ったし、完璧な妻や母になるのをやめました。
完璧な妻と母をやめたからって何かが変わるわけではなかった。
むしろ何も変わらない。
その代わり「楽しい」が増えた。
挑戦したいことが増えた。
行動することが増えた。
本音を行動化することが増えた。
確実に一歩一歩変化してる私がいて、私の心が満たされていくようになってきている。
もちろん、違う自分を生きた時は、うじうじしてる私がいて、あー今めんどくさい自分がいるなぁ、これが嫌だったんだなぁと自分で認めてあげる。
そしたら、反省せず、瞬時に幸せな自分を選ぶ。
その都度選び続ける。
子供達にも「自分で人生をクリエイトする」ことを伝えていきたいと思う。