自由

子供を守ること

大人になるまでに様々な経験をしてきました。まだまだ発展途上ですが。

楽しい事だけじゃなく、嫌なこと、悲しいこと、辛いこともたくさん。それぞれの想いを抱えながらこうやって今の私があります。

人に恵まれて生きてきましたが、それでも人間関係色々経験してきました。自分が体験するだけじゃなく、客観的に見て相手を分析することだって自分の体験だったり。

幼少期、気が強く負けず嫌いの私は、近所の男子をイジメて泣かせ負けることがありませんでしたが、ある日大きな石を投げられ、首に当たり流血し、大泣き。

「今日から俺は強くなる!」宣言をされて、立場逆転し、いじめられっ子になりました。その時の悔しさ悲しさどんな気持ちになるか。私の場合は悔しさの方が強かったけど。

いじめっ子、いじめられっ子両方経験してるからこそ分かる気持ち。

小学生の時、友達が仲良しの子に意地悪し、可哀想だとかばい、結果私1人になったこともあり。その時の寂しさや、でもちゃんと言えたことが誇らしかったり。

近所のお姉ちゃんに、私が同級生の女の子のお腹を蹴ったと、身に覚えのないことを謝れと言われ、必死に抵抗すれば良かったけど、その場を我慢して従って謝る時の悔しさ。

同級生がみんなの注目を浴びたくて自作自演するのを冷静にみていたり。なぜ?と嘆いたり。

中学校では妬まれる友達を守りたかったけど、ターゲットにされるのを恐れてただ見守ることしかできず、何も言えなかった私が悲しく悔しく自分のズルさ、自分の臆病さを知ったり。

高校では、寮生活。時々上級生に呼び出され正座して小言言われたり。仲良いと思ってた先輩に名指しされ、敬語がなってないと言われ、裏切られた気分になったり。

今考えると大したことないかもしれないけど、当時は感情が大きく気持ちが揺れたものでした。

1人になるのが怖くて、孤独を恐れて集団にいることで自分を守れると思ってたし、そんな自分がイヤだったことも。自分をズルイ人間だと思っていました。グループにいることで、自分らしさを出せずに苦しかった時期も。人に合わせるしんどさも知りました。

1人で思い立って行動できる自由さ、気楽さも知ってるからグループにはいるけど、別行動だったりすることも。

親になると子供には自分の時のように辛い思いや大変な思い、悲しい寂しい思いをさせまいと、心配して先回りして安全な道、正しい道へと導きたくなりますが、

ふと、

苦しさ辛さ寂しさ悲しさなく、楽しいだけを歩ませることは果たしていいことなのか?

子供が大人になり、自分の経験が生かせる、そんな機会を無くしてるのでは?

いざ本当に辛い悲しい寂しい悔しい出来事があった時、1人で立ち上がれるのか?

私が良かれと思って安全な道を歩ませようと思ってることが本当に子供にとって糧になるのか。

あえてイバラの道を通りなさい、とは思わないけど、たくさんの経験をさせてこそ人は成長するのではないかと思った私は、答えを出すのをやめました。

全てにおいて立ち向かえとは思いません。体に異変が起こるまで(頭が痛い、お腹が痛い、足が動かない、気持ち悪い等)踏ん張れとは思いません。

その時は安心して堂々と逃げなさいと言います。

あくまで子供が本当はどうしたいか、自分の本当のお腹の声を自分で聞く、そして本当はどうしたかったのかを私は受け止めるのみ。私主体ではなく、子供主体。

こうしなさい、ああしなさい、こうするべき、ああするべき、ではなくて、

子供がどうしたいか、どうしたかったか、その上で経験から伝えられることがあるのではないかと思っています。

母なので子供を守りたい。

でも守るべきところと経験させるべきところと見極める必要があるとおもっています。

私もまだまだ経験が必要なのでぬるま湯に浸かりっぱなしはやめておこうと思います。

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