自由

他人の目を気にして生きてきた私。

少し前までの私は他人の目を気にして生きてきました。

周りにどう思われるかを意識して周りに合わせてきました。

友人のよきアドバイスを受けては、親のアドバイスをすべて受け止めては素直に聞き入れ、そしてそれで悩み、本当の自分は心の中では違うと思っていたとしても人に合わせるようになっていました。

 

大多数の意見を「そうだよね~」と受け入れ、「うーん」って心のどこかで引っ掛かりがあっても多数の意見に賛成して、自分の気持ちに蓋をする。
それでいいと思っていたし、それがいいと思っていました。

 

周りにどう思われるのかを気にして、大胆な行動もできなければ、正直な発言もできず、普通に素通りされるような存在になっていました。
普通に生きれば変わり者と言われず、変わっているとも思われず、こんなこと言ったら変に思われるかな?なんて気にしながら言葉もイチイチ選びながら話をし、たいしてどうでもいい意見になったり。

私はきっと誰よりも人の目を気にしてきたのかもしれません。

 

だから私は、素直に思ったことを自由に発言できる友達に憧れ、こっちがヒヤヒヤしながらも、相手の顔色を伺いながらもお構いなしに素直に口に出せる友人をカッコいいと思っていました。
そして私は大胆な人が大好き。きっと私がこうでありたいからなんだと思いました。

 

どうしてもママ友と言われる子供繋がりの付き合いというのは難しいところがあって、忖度しながら付き合っていかなきゃいけないのかな、と思っていることもあり、それは今も同じ。
じっくりゆっくり自分のペースで付き合いたい私は、周りに合わせすぎていたなと。

 

学生時代の今も付き合っている友人たちは、何言っても許されるし(多分)、素直にダメなことはダメとお互い言えるけど、ママ友はちょっと付き合い方が少し難しいところあるなと感じています。子供が関わると敏感になってしまう。もちろん今の近所でも信頼している大好きな友人がいるので、その人たちがいれば周りはどうでも良かったりして、自分の本音も分かってもらえる人だけでいいのであまりたくさんの人に話すこともしませんが。
ただただ受け入れてくれるだけでいい。

前のマンションでも心地いい友人たちに恵まれました。
今までたくさんの人と出会いはありましたが、結果どこにも属さない自由な友人との関係が居心地よかった。マメに連絡を取らないけど、でも連絡すれば距離を感じさせない人たち。

たまに不登校で不安になったり、周りの付き合い方に面倒だなと思うときも、目の前の関係がなんだかな・・・・と思ったとしても、どうでもよくなったりして救われます。

 

多分前のように他人の目を気にして生きていたら、私はきっと今も学校行ってない子供たちに悩み続けたかもしれません。
私は、身体が動かない(抵抗している)のに無理やり学校に行かせていたと思います。

目の前の子供たちを見ずに、向き合わずに、周りに自分がこう思われるかもしれないと、自分のことしか考えない私だったと思います。

私が出会ってきた自然体の友人達や、素直な子供たちを見て、「周りに合わせる必要ない」「自分らしい自分」で居ることを学びました。大人になればなるほどきっと周りを気にして生きるようになる、私もそうやって生きてきました。

ただ、それを続けるとしんどい。

 

だから自分の人生は自分で守るようにしました。

 

子供の人生も子供のもの。

今まで私は堂々と子供の人生の邪魔をしてきたので、お互いしんどかったので、私は自分の人生と子供の人生を切り分けて考えるようになりました。

 

そして自分に向き合って、自分が幸せだと思うことを第一に考え、目の前のことを自分でどうするか選ぶ、を毎日やり続けると、
きっと自分で選んだことは自分で責任を持ち、他責することなく、前だけを向いて一つ一つ選ぶ、そうしたとき自分の思い通りの人生になると思っています。

他人の目を気にして生きてきた私が、今は周りを気にせず、堂々と自分に責任を持ち、自分で選んだことを行動する、そうやって
自分に夢中になると不思議と周りのことが気にならなくなる。
子供たちと一緒になりながら、子供たちには自分で人生を創っていくことを家で教えています。

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