自由

つわり中のゴミ感情

ここ最近10年前~4年前の私の主人に対するゴミ感情のきっかけの出来事を思い出していますが、今となっては笑い話。

ちょっと前まではたくさんの恨み節を生涯忘れることなく、いつか何かをきっかけにすべて主人に吐き出すかまたは手紙に書いて渡そうとさえ思っていました。

1人目妊娠したとき私は悪阻があり、船酔い24時間が一生続くと思ったくらい辛かった覚えがあります。
ご飯の炊ける匂い、生魚の匂い、柔軟剤の匂い、香水、匂いに敏感でした。
会社員だったので、電車乗ったときの電車の匂い、朝の通勤ラッシュ時の匂い等々気持ち悪かった覚えが。途中乗り換えの時にトイレに駆け込んで吐いては、電車に乗って通勤する毎日を過ごしていました。

この時は私もしっかりしなきゃと思っていたし、周りに悪阻の人いなかったし、母や義母も悪阻なかったし、どんなものかもわかっていませんでした。

「病気じゃないから」

と言われても気持ち悪いものは気持ち悪いし、眠気もひどく、やっとの思いで仕事を終わらせ、21:00に帰宅、そのあとの夕飯作りは正直辛かったけど、当時の私は良い妻でいようと思っていたので完璧になろうとしていました。

だから気持ち悪いのは気の持ちようでなんとかなると思ってましたし、帰ってきて洗濯、料理作り、とりあえず完璧に終わらせてから、主人の帰りを待つ完璧な嫁(=私)はソファで横になって待っていたのでした。(懐かしい・・・笑)

主人の帰りは0:00超えや終電が当たり前で、多忙な部署でタクシーで戻って03:00に帰ってくることもありました。
帰ってきてから私もベッドに戻り、眠ったりしましたが、しかし眠っても気持ち悪さは抜けず、ずっと船酔いが続きました。
仕事があったおかげで、電話対応が多く、日々のタスクが多い部署だったおかげで気が紛れて辛さを忘れられましたが、帰宅した途端気力体力がなく、やる気がなく、何もできなくて横になっていたかった。

途中マクドナルドに立ち寄り、ポテトのLサイズとゲロルシュタイナーの炭酸水が私の夕飯。悪阻中、無性にポテトが食べたくて結構な頻度で立ち寄り持ち帰っていました。でも悪阻はおさまるわけではなく。
そのあと、洗濯を回して干して、乾いた洗濯物を畳んで、掃除して、風呂掃除して、夕飯作って等々。
食べたくないときも、横になる前に、いやなことはさっさと済まそうと家事をして、ふらふらになりながら過ごしていました。

あるとき、平日頑張りすぎたのか、休日にどうしても作れなくなり、1日中横になっていました。
食べたいのに食べられない、何か食べたいのに食べられない状態で、主人がご飯を作るよと言ってくれ、
おにぎりと卵焼きとみそ汁を作ってもらいました。これなら食べられるはずと、伝えましたが、いざ目の前に出てきた料理を見て私は一切食べられませんでした。

 

「気持ち悪い・・・」

 

と言って、一口も食べず、横になろうとしたら、主人はせっかく人が作ったのに!と言って怒ってしまいました。

妊娠しているのに食べないとだめだよと言われ、私は渋々ダイニングの椅子に座り、頑張って一口食べたのでした。
もちろんこの時間雰囲気悪く、いやな空気が流れていました。

これなら食べられるかもとリクエストしたのに、頑張って作ったご飯を私は無理と言って食べない。

 

そりゃ怒りますよね。
でも、その時にならないと食べられるかどうかはわからないものなんです。
その気持ちももちろん分かってもらえないのも辛かったなというのが正直なところ。
大丈夫?と労わってくれてもいいのに・・・・とも思いながら。

2人目も同じように悪阻がありました。1人目よりハードでしたね。生活もすべて。
1人目の時は正直自分のことだけを考えてよかったけど、2人目、3人目になると子供いるので
ゆっくり休めなかったなと、そんな記憶しかありません。

2人目の時は長女を保育園に預けているので、会社から駅について一旦家に帰って、一度吐いてから保育園に迎えに行っていました。保育園の匂いがダメだったので一度吐いて気持ちすっきりさせてからお迎え。
たまに、家に帰るまで間に合わず、街路樹の下に嘔吐することもあり。
保育園迎えてから、保育園の園庭で約1時間遊び、家に着いたら娘のお世話。

私は21:00までに就寝したくて、逆算して家事料理育児等々をしていました。
21:00には娘と眠れるように、ご飯は朝に作り置きで作ってあるのでチンして温めるだけ。
ご飯の後はお風呂。娘が遊んでいる間に洗濯干して・・・・とあまりにも辛かったときはソファに横になろうとするものの、
娘が遊んでほしいと言い、横になれる状況でもなかったな・・・・と。
娘は保育園で昼寝をしているので、21:00に眠らず苦労した覚えが。
今思えばさっさと一人で眠ればよかったな・・・・。

ある日、週末はゆっくり横になりたくて、ある程度の家事をした後、少し横になりたくて、娘と公園に行ってほしいとお願いしたのですが、主人に断られたことがありました。
行きたくないと。
私は途中で寝室に入ってくる娘に起こされたくなかったのとゆっくり眠りたかった。
公園で思いっきり遊ばせた方が午後昼寝するので、主人も自分の時間作れると思っていたのでしたが、まさかの断られるという・・・。

私は悪阻できついなか時々遊びに来る娘の相手をして、結局寝室にはいるもののゆっくり休むことなく、リビングに戻ったのでした。

そんな些細なことも、私の中ではしっかり記憶に残り、主人は育児に協力してくれない人、悪阻で大変な嫁(私)に気を遣えない人になっていったのでした。これもきっとゴミのような感情がどんどん大きくなっていったせいなんだと思います。
何やっても、マイナスにしか捉えられなくなっていくのでした。
子育てしながら、私は、しっかりしなきゃいけないと、いい母親でいなければならないと思っていたので、今では考えられないくらい過保護なくらいお世話をしていたと思います。
怒っちゃいけないと思っていたし、笑顔でいなきゃいけないと思っていたし、自分の感情に蓋をして我慢した生活をしていたと思います。主人にも自分の弱いところなんて見せちゃいけないと思っていたし、ワンオペで育ててやる!くらいの意気込みでいたので、すごい強気でいた時期でした。

 

 

 

 

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